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私は病床で激しい揺れに見舞われた。そう3月11日のまさに日本を震撼させたあの大震災の日のことである。その時は、まだその後の組合の悩みの発端になろうとは思っても見なかった。
震災の2日後、半年前に帰国した研修生の一人から電話があった。
3年間過ごした会社の心配と、同じ地域の後輩の家族から依頼されての状況確認であった。その後の数日間は派遣会社から毎日「留守家族が心配している、現状はどうか」との問い合わせがあり、「心配しないで」「安心して」と返信していた。
退院する頃には収まっているだろうと楽観していた。
しかし放射能のニュースは拡大するばかり、中国留守家族はパニック状態。47人の実習生全員にそれぞれの家族から帰国を促す電話が入り続けた(3月15日時点実習生数:7社47人)。退院したらすぐに行くからその間頑張ってと、各企業の実習生代表に電話した。更に、組合通訳、中国側通訳から連日電話で安心して仕事するよう連絡した。
29日退院となり、翌日各企業を回り実習生全員と会話を交わした。全員が「家族が帰って来い」と連絡あったとのこと。本人も帰りたいと意思を示したのは2人だけで胸をなで下ろした。彼女たちもすごく悩んでいるのが手に取るようにわかる。しかし彼女たちのことを考えると、無事に3年間の研修期間を終了しかえるのが一番良い選択だ、期間の満了で何とか中国へ帰したい。
4月の10日過ぎ、少し落ち着いてきたかと思ったら今度はレベル7に引き上げとのニュース。中国から「テレビ報道がすごい」「留守家族の家庭訪問をする」との連絡。それは当然だろう、我々だってどうなっているのか分からない。日本人の我々にも今後の見通しが分からない、どう説明すればいいのだろう。
中国から見れば、日本は一つの地域、中国の一省の大きさだ、衝撃の大きさは理解できる。「もし私が死んだらその責任はどうなるのか・・・」そんな言葉まで出てきた。政府でもどこでもいい終息の見通しだけでも早く示してほしい。そんな中、4月19日に2人の帰国が決まった。時間をかけて説得、説明したが家族の希望、本人の不安はより強いものだった。
5月中旬、第8期生の選考を中国江蘇省で行う予定が組んである。それも悩みの種である。これまでのように日本への希望者が予定通り集まりそうにない、延期も考えたが前に進むことにした。面接から入国まで半年掛かるが、その間に好転しないようなら白紙に戻すとの条件である。今後の好転を期待しながらの決断だ。こんな時期に中国と接触を持てるのもよい機会だと、更に友好を深めていこうと考えている。
大震災、原子力発電事故から間接的な損害を受け、危機対処からも多くのことを学んだ。今後の組合運営にも多くの教訓があった。まだ前は見えないが明るく元気に頑張っていこう。
10月30日、「第3期中国研修生修了式」がニュー芙蓉にて行なわれました。
吉田専務理事の開会のことばから式は始まり、修了証書及び記念品の授与、川手理事長あいさつ、(財)国際研修協力機構総務部企画調整課の神崎課長、山梨県観光部国際交流課の沢登総括課長補佐、山梨県工業技術センター生活技術部の佐野部長、山梨県中小企業団体中央会の山本常務理事、甲府商工会議所振興課の花田課長から来賓の挨拶をいただきました。
立食パーティーでは、研修期間中の思い出話に花を咲かせ、家族の待つ故郷へ帰る喜びで笑い声が途切れませんでした。
中国に帰ってもそれぞれの研修先で得た知識と技術を存分に発揮して、これからのアパレル業界を担う一員としてさらなる成長を期待しております。
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12月4日、「平成19年度外国人研修生(第4期生)の集合研修閉講式」がニュー芙蓉にて行なわれました。
吉田専務理事の開会のことばから式は始まり、川手理事長あいさつ、山梨県商工労務部工業振興課の佐野課長補佐、山梨県企画部国際課の山村課長補佐、山梨県工業技術センターの樋川部長から来賓の挨拶をいただきました。
その他、10名以上の来賓の方にお越しいただき、研修生・実習生、組合員の代表者を合わせて総勢70名以上の盛大な式となりました。
恒例の立食パーティーでは、思い思いの料理を手にし、大いに飲み語らい、あちらこちらで笑い声や、歓声がきこえてきました。
川手理事長のあいさつの中で、「技術の習得のみならず、日本の文化や言葉もぜひ学んでいってほしい。」
「そのため、職場内では日本語以外は禁止です。」
「私が職場を訪れたときは、日本語で挨拶してください。」
というお話が印象的で、研修生もうなづきながら聞きいっていました。

